「風景が見えることの意味」


東北大学大学院工学研究科 平野勝也



地下鉄の中吊り広告の掲載料は,普通の電車より高いのだそうだ.なるほど,地下鉄に乗っているときは退屈である.他に見るものがない.読書は腰を据えてじっくりという質の私は文庫本などを携帯する習慣がない.結局,退屈しのぎに仕方なく吊り広告を見ては,すっかり広告屋の術中にはまるのが通例である.

地上を走る電車であれば,事情は異なる.私が子供の頃は,子供が電車に乗る時は,靴を脱いでロングシートを反対向きに座るのが定番であった.なにせ外が見えるのである.「日本の洗面台は大人が顔を洗うには低すぎる.お子様向けで困る」と日本に蔓延する「お子様」向けのデザインを嘆く識者に逆らう見識は持ち合わせていないが,電車は立派に大人のデザインだ.子供には外が見えない.ロングシートを踏み台にするのが唯一にして最高の方法なのである.かくして私が子供の頃は,こぞってロングシートを踏み台にして外を眺めていた.子供はうるさいのが世の常だが,その子供が,じっと黙ってただ外を眺めるのである.

外を見て楽しいのはどうやら子供だけではない.住まいが仙台なので,東北新幹線にはよくお世話になる.最近,東北新幹線に新型車両が投入された.全二階建て新幹線MAXの二代目である.カモノハシのような先頭車両は,新型「のぞみ」と同様,空気抵抗を小さくしつつ,トンネルに進入する際の衝撃音を和らげる形なのだそうだ.人は,実感あるものにしか意味を見出せないらしい.流体力学による最先端のデザインも結局,「速そう」というよりカモノハシなのだ.

ところで,この列車なかなかの曲者である.「ナントカと景観屋は高いところに昇る」の迷言通り,私も景観屋の端くれ.最初に乗った時は迷わず二階席に向かった.ところが,この二階席,今時リクライニングなし,肘掛けなし,背もたれは真っ平ら.新幹線の座席配置は普通2+3なのに3+3になっている.はっきり言って劣悪である.二度と乗るまいと心に誓った.ところが,その何週間か後,会議に間に合う唯一の列車が件の新型MAXであった.仕方がない.私は取り敢えず一階席に向かった.そこには素晴らしい座席が待っていた.リクライニングは当たり前,立体的に体を包み込む背もたれで,座面もスライドできる.座席配置も2+3.はっきり言って豪華である.ただし,外は見えない.頑なに防音壁.

なるほど.これぐらい座席に差を付けなければ,一階席には人が乗らないのだ.おそらく新型MAXの設計者は熟慮の上,敢えてこのようにしたのだろう.これほど座席に差があっても,結局二階席の方が人気のようだ.つまり,多くの人は相当座り心地が悪くても外を見たいのである.外を見たいという欲求が,身体的欲求を凌駕しているのだから,本能的としか言いようがない.おそらく,「人間は動物的に自分が何処にいるか認識したいという本能を持っている」ということの現れだろうと思う.なるほど,地下鉄の中吊り広告は高いわけである.

※  ※  ※

数年前,長岡に所用があり,仙台から車で行く機会があった.折しも,暫定ながら磐越道が全通して間もない頃である.私などが力説するまでもなく,会津から越後にかけての風景は極めて美しい.飯豊連峰を遠景に,阿賀川,阿賀野川,ブナ林.折しも紅葉の時期であった.そうでなくとも,初めて走る道路は楽しみなものである.快晴である.美しき安達太良山を横目に,私は期待に胸を膨らませながら車を走らせた.会津盆地からは飯豊連峰が見え隠れしている.会津坂下インターを過ぎると,いよいよ新規開通区間である.

一昔前なら,「そうか2kmのトンネルか.大したもんだな」などと思ったのだが,もはや,そういう時代ではないらしい.延長をm単位で書くのが馬鹿馬鹿しいようなトンネルが次から次へと現れて,私を閉ざされた地底の世界へ誘う.やっと視界が拡がったと思ったら,そこは見事な水田地帯.そう,新潟平野だったのだ.私が期待していた紅葉も飯豊連峰も,さらには「何処にいるのか知りたい」という本能も吹き飛ばして,驚くほど迅速に,磐越道は私を新潟平野に導いたのである.私にとって磐越道は,「地下鉄」もしくは「新型MAXの一階席」のような道路として開通していたのである.

※  ※  ※

会津に限らず,日本の風景は概して美しい.日本の美しき山河を見たとき,そこに住む人々の佇まいを見たとき「日本に生まれて良かった」としみじみ思うのは私だけではないだろう.中村良夫氏によれば「交通路とは国土を認識するシステムである」とのことだ.言われてみれば当たり前で,探検家でない限り,人は交通路からしか国土を見ることができない.人は道路や鉄道といった交通路で,この美しき日本という国土の風景を体験し,それを紡いで,そして織り込んで,それぞれの国土像,地域像を作り上げているのだ.

聞くところによると,計画中である三陸道もリアス式海岸を尻目に「地下鉄」になるらしい.第二東名も概ね「地下鉄」になるようだ.用地取得,騒音,自然環境保護そしてコストといった観点より,どうやら高速道路の「地下鉄化」が全国的に着々と進んでいるようである.これは,単に,美しい風景を見たいという欲求が満たされないだけでなく,「自分が何処にいるか認識したいという本能」を抑圧することでもある.さらには,日本人の国土像は一体どうなってしまうのだろう.「百聞は一見にしかず」という言葉があるように,人は自分の体験を最も信頼する.「地下鉄化」は日本人が誇るべき美しき風景を体験させず,日本人の国土像を体験し損ねの虫食いにする.その虫食いは,マスメディアからの実感のない空虚な情報で埋められる他ないのである.

※  ※  ※

日本における最初の高速道路である東名神の線形設計は,「見える風景」を考慮して行われた.おかげで,東名神からは,美しい日本を実感できる.用地取得,騒音,自然環境保護そしてコストと同様に重要な観点として,今一度「高速道路から見える風景」を再認する必要があると思う.高速道路を「地下鉄」にしないために.