西欧の道路・街路景観(※1)に,その理想を求める専門家は多い.日本の道路景観では,林立する野立て広告,大規模な切土,盛土,擁壁そして,貧困なデザインの構造物を嘆く声しきりである.これに呼応して,屋外広告物条例の制定や,シビックデザインというキーワードの下に,道路構造物デザインの向上施策が取り組まれている.一方,街路においても,日本の貧相で不統一な建築物,林立する看板,電柱電線類がやり玉に挙げられている.これに呼応し,商業地再活性化などの都市再開発においては,地区計画による統一的な建築物や看板類のデザインコントロール,電線類の地中化等の景観向上施策が推し進められている.
筆者には,このような施策を批判する気は毛頭ない.ただ,風土,文化,社会が織りなして風景が形作られる以上,そうした背景の相違を踏まえなければ,それは闇雲な模倣に陥り,ひいては日本固有の風景の喪失に繋がりかねないとの一抹の懸念を抱いているのも確かである.
また,日本で引き合いに出される,素晴らしい西欧の道路景観や街路景観は,いきおい西欧に於いても特殊なものであることが多い.本稿では,リージェント通りのような特殊なロンドンの顔ではなく,取り立てて日本に紹介もされない普通の英国の道路景観,街路景観から,英国の等身大の風土,文化,社会的背景を僅かながらも読みとれればと考えている.
水田の中の一本道,地形に合わせ緩やかにうねりながら地模様を描く道.渓谷を縫うように峠を目指す道.洋の東西を問わず,地形に順応し,また地形と戦っている道は,唯それだけで自然や田園風景に点景を加え,美しい風景を作り出すものであると筆者は考えている.この道路と自然や田園風景との調和のためにはやはり,大規模な土構造,擁壁,野立て広告,カラフルな歩道柵,ガードレール等は無いに越したことはない.文字通り景観阻害物である.
グレートブリテン島の最高峰は高々1300mであり,日本人の感覚からして山らしい山は,ウェールズやスコットランドのハイランド地方にしかない.さらに,平坦を旨とする運河がイングランド中に張り巡らされた事等からも解るように,英国は平地か極めて緩やかな丘陵地で覆われていると言って過言ではない.さらに,都市や集落と郊外部の田園地帯が明快に区分されている地理的条件も併せ,郊外部では,コントロールポイントも少なく,線形設計は自由自在であるというのは言い過ぎだろうか.また,道路から見える風景という道路景観の最重要ポイントも,地形が緩やかで見通しが良いために,どの様なルートを通しても大差ない.
そのため,英国では線形条件の厳しい高速道路でさえ,景観阻害物である大規模な土工や擁壁などは必要ない場合が多く,緩やかな地形のうねりに合わせて美しい田園風景の一部となっている(写真−1).英国では,地模様としての美しい道路が,単純なコストを追求しただけで,極めて簡単に描かれるのである.当然,橋梁やトンネルも少なく,土工や擁壁が少ないこととあわせて,安価に道路を造り得るのである.如何に約400年ものパックスブリタニカを誇ろうとも,英国のインフラ整備水準の高さとこの地理的条件は無縁ではあるまい.そして,これは,アルプスを抱える地域を除き,他の大陸ヨーロッパ諸国も同様であろう.日本では,急峻な地形,散在する集落形態と言った地理的条件が厳しいために,建設コストも高く,線形設計に若干の変更を加えただけで,見える風景も,景観阻害物の量も建設コストも極端に変わってしまうことが珍しくない.
その一方で,英国の道路景観は驚くほど単調である.先に,英国はその殆どが平地か緩やかな丘陵地であると述べたとおりだが,これらの土地は何処へ行っても,畑か牧草地かヒースの生い茂る未利用地かちょっとした森かのどれかである.つまり英国は全国何処に行っても,風景がさほど変わらないのである.尤も,少しずつの変化はある.しかし,少なくとも,日本の自然,田園風景の多様さから見ると,英国の自然,田園風景即ち道路景観は極めて単調である.このことは,日本の道路景観に一つの方向性を示していると思われる.即ち,地理的条件の厳しさは美しさにおいて短所であったが,変化や多様性さにおいては長所である.この長所を生かすためには,刻々と変化する美しき日本の自然風景を良く見せるための所謂シークエンス景観がより強調されても良いと思われる.
また,英国の郊外部には野立て広告は全くと言っていいほど無い.都市農村計画法により,郊外部での広告の設置が一時的なものを除き原則的に認められないためである.このような,郊外部での野立て広告禁止は,19世紀末に,産業革命の進展がもたらした急激な社会変化の中で,失われゆく人間性に対し,田園への回帰願望や憧憬,歴史性への執着が強まった結果生まれた,有名な田園都市構想やナショナルトラスト運動の起こりと時期を同じくして生まれたと聞く.いわば,一方的な近代化への社会の反動がもたらした結果とも言える.日本は残念ながら,近代化を礼賛し続け社会が近代化への強い反動を見せたことはない.日本の「豊かさの実感」や「観光振興」といった近代化礼賛の思潮の延長上で,景観阻害物である野立て広告を果たして全廃しうるのだろうか?
蛇足ながら,日本では,郊外型商業施設,娯楽施設,大規模旅館そして商品ブランドの野立て広告を良く目にする.英国では,少なくとも,そのうち郊外型商業施設は,店舗の固有名ではなくその商業地区(Retail Park)名ではあるが通常の案内標識に,遊園地等の娯楽施設は,規模が小さいもの,民間のものまで,他の名所旧跡と共に旅行者向けの案内標識に明記されている.つまり,野立て広告がないからと言って,それらについての道案内の情報がないわけではない.日本でも,公設の案内標識に,より積極的にこれらの情報を掲載することで,野立て広告廃止への抵抗を低減することは,非現実ではあるまい.なお,英国の郊外部における跨道橋,料金所(※2)等の道路施設のデザインは日本のそれと大差ない標準設計的なものばかりである.日本では最近,郊外部にもかかわらず妙に力の入ったデザインの構造物を散見するが,英国でそのような構造物に出会うことはまず無い.市街部と郊外部の明快なメリハリがそこにも感じられる.
このように,英国の道路景観は,緩やかな地形に順応し美しい地模様を描き,それが故に,大規模な盛土切土も擁壁もなく,さらには,野立て広告もないという道路と田園風景が調和した美しい風景を形作っている.その一方でその地理的条件は極めて単調な道路景観しか提供していない.英国の道路景観は美しく,そして単調である.
西欧の街路景観というと,旅行ガイドブックに出てくるような,美しく統一された古い街並みが連想されるが,普通の街並みは必ずしもそうではない.勿論大陸ヨーロッパも例外ではないが,殊,英国に関して言えば,それがより一層はっきりする.また,市街部と郊外部の田園地帯にメリハリがあるのと同様,市街地内においても,厳しく景観規制を行う場所とさほどでもない場所が明快に区別されている.ここでは,冒頭で述べたとおり,普通の即ち,さほど厳しく景観規制が行われていない市街地について考える.
まず,英国の街には,大陸ヨーロッパに比して,近代的建築物がはるかに多いと思われる.英国の普通の街は,様式建築と近代建築の混在,さらには,寺院,銀行などの重厚な建築と一部商店の貧相な建築といった別次元の混在も存在しており,その混在ぶりは,日本の普通の街よりは,様式がかった重厚な建築が多い程度だと考えて良い(写真−2).ここまでの混在は,大陸ヨーロッパの普通の街に比して,良かれ悪しかれ,英国の街路景観の特徴となっている.原因は様々考えられる.「英国は産業革命発祥の地である.新しい技術がパックスブリタニカの確固たる繁栄を手にした.英国人は産業革命の祖であるという他国にはない強いプライドをもっているため,近代建築を評価し,古い建築を何もかも保存する姿勢を取らなかったのではないか.」と考えれば一応の説明は付くが,筆者の憶測の域を出ない.また,日本と比して袖看板が規制されるケースが多いため,少ないように見受けられるが,その分,正面壁面の看板は日本より派手派手しい場合もあり,特に明快な差異は感じられない.
日本と決定的に異なるのは,やはり街路付属物であろう.写真−2では街灯とボラードがあるのみで(ボラードもなく街灯だけと言うところも多い),電柱電線類はおろか道路標識すらない.街並みがそのものに秩序が無くとも,日本の普通の商業地街路景観よりも乱雑感がないのは,これによるところが大きいと思われる.
細かい話になるが,英国の電灯線の電圧は240Vである.利用上は当然危険度が高いがその反面,高圧であるが故に,電線を単独地下埋設したとしても,日本だと地下から降圧トランスを相当数設置さざるを得ないが,英国ではそのようなトランスは殆ど見かけない.これは日本と比して地下埋設を進める上で相当の利点であろう.また,余談であるが,英国の住宅地における電話配線は,数軒に一つ電柱を建て,地下から埋設された電話線をその数軒分だけ電柱に立ち上げ,各戸へ空中で配線する方法が一般的である.従って街路縦断的な電話線は存在しないし,全て一軒用の細いケーブルであるため,さほど目立たないという,コストと景観をうまく折衷した方式が採られている.
道路標識すらないというのは,日本から見るとちょっと異様な光景に見える.日本で同様の場所があれば,「駐車禁止」,「速度規制」,などが立ち並ぶであろう事は容易に想像が付く.市街地に限らず日本に比して英国では,道路標識(特に規制標識)は非常に少ない.これも若干細かい話であるが,その理由は3つほどある.
まず第一に規制自体が,日本より甘い.これは,交通量が日本ほど多くないこと,自己責任の発想とが原因として考えられる.第二に,英国の法定制限速度(標識がない場合の制限速度)は,例えば普通車の場合,市街地30マイル,郊外2車線道路60マイル,郊外4車線道路70マイル,高速道路70マイルと4つの法定制限速度がある(※3).市街地と郊外が明快に分かれている為に取りうる区分である.また,その地形的な条件と自己責任の発想から線形の問題での特別な速度規制が必要ない場合が多く速度規制標識は日本と比して非常に少ない.日本では,法定制限速度は一般道と高速道路の2種類しかない上に,道路線形などから,法定制限速度で走行できる区間は少なく,多くの場合,やむを得ず個別の速度規制標識が必要となってしまう.第三に路面表示である.駐車禁止,停車禁止,追い越し禁止などは,その多くが路面表示のみに拠っている.例えば,写真−2の街路の路側に表示されている二重線は,あらゆる時間帯の駐車禁止を表し,補助標識は小さい標識が街灯等に車道に向けてつけられていることが多い(写真−3).しかし日本では,強い降雨(降雪)により路面表示が見えなくなることを考えると路面表示だけでは危険であろう.そのため日本では,路面表示があったとしても,必ずと言っていいほど標識が設置される.なお,英国では標識がある場合も,市街地の場合,写真−4の様に信号機に小さな表示があるのみと言う場合が多い.単独にある場合も速度規制標識などは同様に小さい.街路景観をすっきりさせる上では,どれも効果のあるやり方であるが,景観向上のメリットよりおそらく降雨条件や自己責任の発想がないことから日本ではリスクというコストが上回ってしまう手法であると思われる.
このように,殊英国においては街並みが雑多であることから解るように,街路景観を美しくするという意識は強いわけではない.街路付属物が少なく,幾分すっきりした景観となっているのは,必ずしも西欧的な街路景観への美意識ではなく,「そもそも必要ないから設置しない」,という側面があるのも確かなようである.当然その方が社会的なコストは低い.つまり,雑多な街並みにすっきりした街路付属物という英国の街路景観にはある種の必然があると思われる.そして,こうした必然が良かれ悪しかれ,街路景観の固有性を生んでいるはずである.
日本においては,先述の通り,例えば,すっきりした街路付属物の実現は容易ではない.ある種の必然に逆らい,西欧と比して見劣りするものを努力して改善するのではなく,雑多故の賑わいの魅力や,自然景観に依拠した街づくりの魅力といった,日本にしかない魅力をより高めるという街路景観の方向性が,もっと指向されて良いのではないかと思う.
写真−1 英国の典型的高速道路(M56 Warrington郊外 Stretton付近)
写真−2 英国の典型的地区センター(Manchester近郊 Withington Village)
写真−3 街灯付設の駐車禁止補助表示
写真−4 信号付設の右折禁止表示
※1 街路構造令の廃止により,現在,「道路」は街路を含む用語として行政上は使用されているが,景観を考える上で「道路」と「街路」は大きく異なるため,本稿では旧来通り,沿道建築により囲まれた道路空間を「街路」とし,それ以外を「道路」と区別する.<↑戻る>
※2 周知の通り英国の道路は,現在高速道路を含め原則的に無料である.但し,一部の長大橋梁,長大トンネルは有料であり,料金所も存在する.なお,高速道路の有料化は以前より英国政府の検討するところであるが,報道によると,本年も,将来的な有料化の導入は決定されなかった.当然ながらその一方で,ガソリン税が高い.因みに,ガソリン店頭価格は,1リットル80〜85ペンスが相場で,そのうち70%強が税金である.日本人から見ると,現在の円が強い円ポンドレートでは,この店頭価格にさほどの割高感はないが,日本でも周知の通り英国では先般,その重税感から運輸・農業労働者が石油精製所を封鎖し,全国のガソリンスタンドを干上がらせる抗議行動があったが,裏を返せばそれほどの重税感がある事を意味している.<↑戻る>
※3 kmに換算すればそれぞれ48km,96km,112kmと速度規制も,随分緩い規制となっている.家屋のない田園地帯とはいえ,2車線道路で96kmの制限速度は驚くばかりである.なお,追い越し禁止なども日本よりは禁止していない道路が多いように思われる.<↑戻る>